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詩人・茨木のり子の暮らした家をたずねて

2017/10/20

日本で暮らしてきた人ならば、茨木のり子の詩はどこかで目にしたことがあるだろう。教科書にも取り上げられた『わたしが一番きれいだったとき』や『自分の感受性くらい』などは、とりわけ有名だ。「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」(『自分の感受性くらい』)と強い言葉でつづられたこの詩は、自分自身の意思表明のようにも読み取れ、中高校生の多感な時期に強い印象を受けた人も多いのではないかと思う。

茨木のり子、1926年大阪府生まれ。戦後を代表する女性詩人にして、帝国女子医学・薬学・理学専門学校を卒業し、薬剤師免許を持つ理系女子でもあった。詩から浮かび上がってくるのは、自分に厳しく、凛として自立する強い女性の姿だ。それゆえに、現代を生きる若い女性たちをも惹きつけてやまないのだろう。

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23歳のときに結婚した夫・三浦安信と。お見合い結婚ではあったが、一途に夫を想い続けた。死後、夫への恋情をつづった詩が『歳月』として出版された。

夫を想い、夫とともに暮らした家

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そんな彼女の暮らした家が、家主の息づかいもそのままに残っているという。1958年築。夫とのふたり暮らしのために建てた2LDKの家。ともに間取りを決めデザインをし、好みの自宅にした。彼女の家からは『丁寧な暮らし』を続けた様子が伺える。

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(左)ダイニングの風景。
(右)リビングの大きな椅子はスウェーデン製。

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(左)「生前から書斎は雑然としていましたよ(笑)」と茨木の甥、宮嵜治さん。
(右)玄関ホールに飾られた海外の土産もの。

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料理、仕事、韓国、ファッション……自分の好きなコト・モノを項目ごとにスクラップしてまとめていた。大好きな韓流スターのモノを集めた『ヨンさまBOX』なるものもあったとか。

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自分の洋服をパターンから作ったり、カーテンや暖簾なども製作。それらの端切れを残して、既製品の洋服のリメイクなどに使っていた。

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茨木は料理が好きで、レシピを資料から抜き出し、工夫を加えて自分なりのレシピを記す。こうしてレパートリーを増やし、手間をかけた料理に夫が喜ぶと、それを日記に書いた。

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食器棚。日本のものから海外のものまで。旅で集めた食器も。

 

 

◯茨木のり子
1926年、大阪に生まれる。帝国女子医学・薬学・理学専門学校を卒業し、薬剤師免許を取得。文学にも強く関心をもち、読売新聞社の戯曲募集に応募。佳作に選ばれる。その後、言葉の勉強のため詩の世界に入る。同人誌『櫂』の立ち上げメンバーとなり、独特の表現力と感性で、2006年に亡くなるまで、詩を書き続けた。