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書家・鳩居堂夫人熊谷恒子に教わる 愛しき文字の贈り物

2018/07/30

書家・鳩居堂夫人熊谷恒子に教わる 愛しき文字の贈り物

お歳暮やお中元といった年中行事、結婚や出産といった人生の節目、誕生日やクリスマス、無沙汰を詫びる、仕事のご挨拶、日々の感謝など、様々なシーンでわたしたちはギフトを贈る。その中でも、日本には、古くから言葉を贈り合う文化があり、平安貴族は、繊細な、かな文字で恋の歌を贈り合い、思いを相手に伝えてきた。そんな「かな書」をひたむきに極め、昭和の時代を生きた鳩居堂夫人・熊谷恒子。皇后陛下に慕われた彼女の人生が、文字を贈ることの素晴らしさを教えてくれる。

熊谷恒子

熊谷恒子 1893 ― 1986
京都府生まれ。銀座鳩居堂支配人の熊谷幸四郎に嫁ぎ、東京に転居。川北桜嶼、尾上柴舟、岡山高蔭に師事。日本書道美術院理事に就任し、皇太子妃美智子殿下(現皇后陛下)へ書道ご進講を拝命。1967年に勲五等宝冠章受章、1980年に勲四等宝冠章受章

文字を贈るということ

熊谷恒子が書の道を志したのは、35歳ごろ。京都の名家・江馬家から銀座鳩居堂支配人の熊谷幸四郎に嫁ぎ、子どもの習字のついでに、自分も習うようになったのがきっかけだった。

鳩居堂といえば日本を代表する香と書道用具の老舗。生家の祖父は書家としても高名、父は書の愛好家。思いは自ずと高まり、書の道を歩み始める。

かな書を学ぶうちに、その元となった漢字を学ぶことも必要だと感じるや、岡山高蔭に弟子入りし、漢字を通してかな書への理解を深めた。こうして恒子の書は豊かさを増していく。
 
思いのままに書の道を突き進んでいったように見えるが、時代は戦後。不自由な事も多く、主婦と書家の両立に心を砕くことも少なくなかった。だが、夫はいつも味方となり、妻の書家としての活躍に理解を示してくれたという。
 
そんな夫を思ってか、恒子は「書のために無理はしなかった。趣味がいつしか生涯の仕事となった」と話し、書における努力や功績をひけらかすことなく、きちんとした家庭人であろうとした。
 
彼女の慎ましい人柄、書から溢れ出す気高さは、今なお人を惹きつける。同時代の女性たちは「恒子先生のようなおばあさまになりたい」と憧れ、恒子から書道を教わった美智子さま(当時皇太子妃)は、お忍びで何度か自宅を訪れたという。
 
書を通して、恒子の周りに人が集まる様子が目に浮かぶ。
自筆の文字は人柄、思い、近況を伝える贈り物だ。恒子はいつも弟子一人ひとりに個性に適した書を勧めた。「人柄を伝える」という文字本来の役目を大切にしていたからこそのメッセージだろう。
 
昭和61年、93歳で筆を置いた恒子が、人生の最後に贈ったのは、とても優しい「ありがとう」の文字だった。自筆の文字を贈ることは、品物のやりとりを凌ぐほど、気持ちの交流を生み出す力がある。恒子をとりまく数々の書が、そう語りかけているようだ。

愛猫の亀と熊谷恒子愛猫の亀と熊谷恒子。生き物が大好きで、
九官鳥に一生懸命に言葉を教えていたという、お茶目な一面も

絶筆 ありがとう

絶筆 ありがとう( 1 9 8 6 )
93 歳、絶筆の書は周りの人に贈った「ありがとう」の文字だった。本当は「みんなありがとう」と書きたかったのだという。偉業を成し遂げてなお、謙虚だった恒子の人柄がにじみ出る

掛け軸

恒子が同門のかな書家・森田竹華に贈った掛け軸。
「桃さくら 白髪の雛も あらまほし」という大島蓼太の俳句で
「白髪のお雛様もあるといいのにね」というどこかお茶目な内容。
普段は控えめな軸装や短冊を好んだ恒子だが、
竹華を思ってか華やかな仕立てとなっている

署のための部屋夫が恒子に贈った書のための部屋。
窓の外には季節の花が咲く素敵な庭が 

使えなくなった筆使えなくなった筆は庭に埋めて供養していたほど、
大切にしたという

生前に住んでいた昭和11年築の自宅を改装し開館。
自宅の雰囲気をそのままに、恒子の優美な書を楽しむことができる。
熊谷恒子記念博物館

大田区立 熊谷恒子記念館

東京都大田区南馬込4ー5-15
TEL:03-3773-0123
開館時間:9:00 ~ 16:30(入館は16:00まで)
月曜定休(祝休日の場合は翌日休)、年末年始、展示替え期間
入館料:16歳以上100円

http://www.ota-bunka.or.jp/facilities/kumagai/

日本の贈り物に改めて触れてみると、文字を贈るという繊細で奥ゆかしい文化が垣間見えてくる。自筆の文字は、贈った人の人柄や思いが相手により伝わりやすく、気持ちの交流が自然と生まれる。つまり、日本人の贈り物のルーツは「こころの表現」にあったのだ。少しの言葉と季節感を合わせた贈り物は、より華やかで豊かにしてくれ、より一層贈り物に愛着を湧かせてくれる。

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